福岡高等裁判所 平成8年(行コ)11号 判決 1999年4月27日
控訴人 天下一家の会・第一相互経済研究所こと内村健一相続財産破産管財人下光軍二 ほか三名
被控訴人 国 ほか三名
代理人 今村隆 岡本勝秀 米山匡志 山之内紀行 松崎義幸 和多範明 ほか五名
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人熊本西税務署長が天下一家の会・第一相互経済研究所に対してした原判決添付の別紙一1「処分一覧表」番号1ないし6の各処分の取消しを求める訴えを却下する。
三 被控訴人国は控訴人らに対し、一三億二四三三万一七〇〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
四 被控訴人熊本県は控訴人らに対し、四億七〇六七万〇三七〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
五 被控訴人熊本市は控訴人らに対し、一億八六三二万七九二〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
六 被控訴人熊本西税務署長を除くその余の被控訴人らに対するその余の請求をいずれも棄却する。
七 訴訟費用は、第一、二審を通じ、控訴人らと被控訴人熊本西税務署長のとの間においては、全部控訴人らの負担とし、控訴人らと被控訴人国との間においては、控訴人らに生じた費用の五〇分の七及び同被控訴人に生じた費用の一五分の二を同被控訴人の、その余を控訴人らの各負担とし、控訴人らと被控訴人熊本県との間においては、控訴人らに生じた費用の五〇分の二を同被控訴人の、その余を各自の各負担とし、控訴人らと被控訴人熊本市との間においては、控訴人らに生じた費用の五〇分の一を同被控訴人の負担とし、その余を各自の各負担とする(ただし、補助参加人らの参加によって生じた費用は、これを五〇分し、その七を被控訴人国の、その二を同熊本県の、その一を同熊本市の、その余を補助参加人らの各負担とする。)。
八 この判決は、第三ないし第五に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人熊本西税務署長が天下一家の会・第一相互経済研究所こと内村健一に対してした原判決添付の別紙一1「処分一覧表」番号1ないし6の各処分をいずれも取り消す。
三 (主位的請求―過誤納金の還付請求)
1 被控訴人国は控訴人らに対し、九九億三八三五万五四〇〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
2 被控訴人熊本県は控訴人らに対し、四億八一一九万四七二〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
3 被控訴人熊本市は控訴人らに対し、一億八八九六万三二一〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
(予備的請求―不当利得返還請求)
1 被控訴人国は、控訴人らに対し、九九億三八三五万五四〇〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人熊本県は控訴人らに対し、四億八一一九万四七二〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人熊本市は控訴人らに対し、一億八八九六万三二一〇円及びこれに対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
五 各金銭請求につき仮執行の宣言
第二事案の概要
一 本件事案の概要、争点及び争点についての各当事者の主張の概略は、被控訴人らが、当審において、新たに次のとおり本案前の抗弁を主張するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」欄(原判決四頁末行目から三二頁七行目まで)に記載するとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決五頁一〇行目の「右各更正処分等」の次に「(以下「本件各課税処分」という。)」を、原判決六頁四行目の「被告市に対し、」の次に「主位的には国税通則法所定の還付金請求権に基づき、予備的には民法所定の」をそれぞれ加える。)。
二 当審における新たな本案前の抗弁
第一相研は、内村とは別個独立の人格のない社団であるから、第一相研を名宛人とする本件各更正処分等に対し、内村は、その取消しを求める法律上の利益を有しない。したがって、内村の破産管財人である控訴人らによるその取消しを求める訴えは、その適格(原告適格)を欠くものとして、不適法である。
第三証拠
証拠関係は、原審及び当審記録中の各証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
第四当裁判所の判断
一 争点1(不服申立前置違反)について
1 国税通則法七五条一項一号、三項によれば、国税に関する法律に基づく処分のうち税務署長がしたものについては、これに不服がある者は当該税務署長に対して異議の申立てをすることができ、異議の申立てについての決定を経た後の処分になお不服があるときは、その申立てが適法にされた場合に限り、さらに国税不服審判所長に対して審査請求をすることができるが、行政事件訴訟法八条一項ただし書及び国税通則法一一五条一項によれば、国税に関する法律に基づく処分のうち、審査請求をすることができるものの取消しを求める訴えは、審査請求がされた日の翌日から起算して三か月を経過しても裁決がないときなど、同項各号所定の事由に該当する場合でない限り、審査請求についての裁決を経た後でなければ提起することができない(審査請求前置)とされているところ、右にいう審査請求は、これが適法にされた場合に限られる。そして、国税に関する処分についての異議申立ては、処分があったことを知った日の翌日から起算して二か月以内にしなければならない(国税通則法七七条)。
本件取消請求は、控訴人らが内村の破産管財人として、第一相研を名宛人としてされた本件各更正処分等の取消しを求めるものであるところ、内村は、本件各更正処分等がされた時点(昭和五一年三月一一日から同五三年三月三一日まで)からそれぞれ法定の期間内に第一相研名義で本件各更正処分等について異議申立て及び審査請求を行っている(ただし、その理由は、いずれも第一相研が人格のない社団であることを前提にした上で、その事業は収益を目的とするものではないからその収入を事業所得として課税したのは違法であるというものである。)ものの、個人としてはこれを行っておらず、また、控訴人らも平成二年八月二一日に異議申立てを行っているにすぎない。そうすると、本件取消請求に係る訴えは、異議申立期間を徒過し、審査請求前置の要件を欠くものとして不適法といわざるを得ない。
2 この点、控訴人らは、<1> 国税通則法七七条一項は、異議申立期間につき、処分に係る通知を受けた場合にはその日から進行する旨規定するところ、本件各課税処分は第一相研に対して通知がされたものの、第一相研は社団に当たらず実体がないから右通知は無効であって右異議申立期間は進行せず、控訴人らは、前記所得税課税処分取消請求事件が平成二年八月一日に確定したことにより本件各更正処分等が実質的に内村に宛てたものであることを知ったから、この時点から右期間が進行し、したがって、控訴人らのした前記異議申立ては適法である、<2> 本件取消請求訴訟は、控訴人らが本件各更正処分等の名宛人としてではなく、本件各更正処分等により法的な不利益を受ける者として、その取消しを求めるものであるから、その異議申立期間も内村とは別個に控訴人ら自身が本件各更正処分等を知った時点から進行するものと解すべきであって、控訴人らによる前記異議申立ては適法である、<3> 控訴人らは、前記異議申立て後の平成二年一二月一一日に審査請求をしたところ、その後三か月が経過するもこれに対する裁決がされなかったから、国税通則法一一五条一項一号により、異議申立期間徒過の瑕疵が治癒された旨等主張する。
しかしながら、右<1>については、仮に第一相研が人格のない社団に当たるのであれば、被控訴人らが当審で新たに主張するように、第一相研を名宛人とする本件各更正処分等に対し、内村は、そもそもその取消しを求める法律上の利益を有せず、したがって、内村の破産管財人である控訴人らも同様であって、その取消しを求める訴えは、その適格(原告適格)を欠くものとして、不適法であるのに対し、第一相研が人格のない社団に当たらないのであれば、内村が第一相研名義でした前記異議申立ては不適法であるとともに、内村は、本件各更正処分等の名宛人でない以上、内村個人としてその通知を受けることはないのであるから、本件各更正処分等の取消しを求めるのも、右名宛人としてではなく、本件各更正処分等の取消しを求めるにつき法律上の利害関係を有するからにほかならず、そうであれば、内村が本件各更正処分等がされたことを知った以上、その時点から異議申立期間が進行するものというべきであるところ、内村は、第一相研の代表者として本件各更正処分等の通知を受けた以上、その時点で本件各更正処分等を知ったものというべきであるから、控訴人らの主張は失当である。また、<2>については、控訴人らは、内村の破産管財人であって、内村の地位を承継するものであるから、内村とは別に異議申立期間が進行するものではないところ、内村が本件各更正処分等について異議申立てをしないままその期間を徒過した以上、もはや控訴人らは別途異議申立てをすることはできないから、<2>の点の主張も失当である。さらに、右<3>については、国税通則法一一五条一項一号により審査請求についての裁決を経ずに当該処分の取消しを求める訴えを提起することができるのは、適法な審査請求がされた場合に限られるところ、控訴人らのいう審査請求は適法な異議申立てによらない違法なものであるから、右主張も失当である。
二 争点2(本件各更正処分等の適法性、特に第一相研の社団性)について
1 本件各更正処分等ないし本件各課税処分は、第一相研がいわゆる人格のない社団に当たることを前提にするものであるから、その適否ないし有効性を判断するについては、まず、第一相研が人格のない社団に当たるかどうかが問題になるところ、第一相研の成立、その後の推移に関し、<証拠略>によると、次の各事実が認められる。
(一) 本件ねずみ講の成立
内村は、昭和四〇年ころから、その妻が加入していた講からヒントを得ていわゆる無限連鎖講(以下「本件ねずみ講」ともいう。)を考案するようになり、昭和四二年三月、「親しき友の会」と称する講を自ら考案、発足させ、これを実施するに至った。右「親しき友の会」の内容は、内村が本部となり、入会申込者が、本部の指定した第一順位の先輩会員に一〇〇〇円を送金するとともに本部に入会金一〇八〇円を払い込み、第六順位の会員として加入するが、右入会者は、自ら後順位の新規入会者四名を入会させることにより、順位が六番から五番に昇格し、以下同様に、後順位の入会者が各自四名入会者を獲得することにより、その都度順位が五番から四、三、二、一番に順次昇格し、第一順位となったとき六代後の後輩会員一〇二四名から一〇〇〇円ずつ合計一〇二万四〇〇〇円の送金を受けとるとすることを内容とするものである。したがって、「親しき友の会」は、新規加入者が無限に増え続けることを前提としてその本来の目的が達成される組織であった。なお、右「親しき友の会」は、熊本県上益城郡甲佐町の内村の自宅を本部事務所とし、内村の実兄や実妹など八名が原始会員として発足したが、自ら本部となった内村は、自ら第一相互経済研究所と称し、入会者の増加により短期間の間に入会金等の名目で多額の金員を収受するようになった。
(二) 本件ねずみ講組織の拡大及びその整備等
「親しき友の会」の入会者は、昭和四二年七月には約一万人に達するなどその数が飛躍的に増加したが、昭和四三年になって新規入会者数が減少する傾向を示すようになった。そこで、内村は、多数の者が加入しやすいように、配当の時期を早め、入会者の獲得すべき後輩会員の数を減らす一方、受け取ることのできる配当の金額を増額するなど「親しき友の会」の内容を一部修正した新たな講組織を次々に考案、実施していった(以下、これらの講組織を総称して、「本件各ねずみ講」ともいう。)。すなわち、昭和四四年六月に「第一相互経済協力会」、同年一二月に「交通安全マイハウス友の会」、同四五年一一月に「畜産経済研究会」、同年一二月に「中小企業相互経済協力会」をそれぞれ考案、実施した(各講の仕組みについては、本判決添付の別紙一のとおりである。)。その結果、新たな講組織への加入者が著しく増加し、昭和四六年一月には、数県にわたり、地方の有力会員が新規加入者の増加を図るために設けた連絡場所を中心にして自発的に組織した支部と称するものもできるなどして、同年五月末ころには、各講加入の全口数が六〇万口、入会金の総額が約一〇〇億円に達するまでになった。
なお、入会者から本部に送られてくる入会金等についての会計経理は、当初、内村の実兄や長女等が行っていたが、昭和四六年春ころからは、長男文伴が専属でこれを担当するようになった。
(三) 入会金収入の増大とその使途及び運用
ところで、内村は、講の入会金収入を資金として、第一相互経済研究所「親しき友の会」代表内村健一名義により、昭和四二年七月一〇日、熊本市本山町六三五番地所在の四階建て建物(以下「旧福田ビル」という。)をその敷地とともに買い受けた(そして、同四三年ころ、前記甲佐町の事務所をここに移転した。)のを始め、熊本県鹿本郡植木町に土地を購入したほか、玉名、別府、阿蘇及び熱海等全国各地にある旅館等をそれぞれ買い受けるなど財産を増やし、また、昭和四六年六月には、旧福田ビルの隣に八階建ての建物(以下「相研ビル」という。)を建築して本部事務所ビルとする(その五階に内村自身の自宅及び会長室を置き、また、その六、七階を職員用住居とし、七階に長男文伴、二男講男及び経理部長の各居宅を設けた。)一方、新たな入会者の勧誘のためや、講が金もうけのためのものであるとの世間の非難を回避するためもあって、保険会社との間で前記「交通安全マイハウス友の会」等の会員を被保険者とする交通傷害保険契約を締結して交通事故等見舞金制度を設け、右旅館を保養施設とした上第一相互経済協力会等の会員や本部職員の保養のために提供するとともに、右各講は、「宇宙一体論」に立脚し、地球規模での共和五族、万法帰一、「心、和、救け合い」の精神を唱えていた郷土の先輩である西村展蔵の思想を実践するものであるとして、第一相互経済研究所の名称と併せて「天下一家の会」の名称を使用し、自らはその会長を称し、福祉対策名目で地元の甲佐町に対して一〇〇〇万円、御船町に対して別荘一棟をそれぞれ寄附するなどした。
(四) 第一相研の社団化の動き
内村は、もともと講事業を法人組織にして実施することを考えていたところ、講加入者が急増するに伴い、講の入会金等の収入調査のため、所轄税務署の職員がしばしば本部事務所を訪れるようになり、また、各講の入会者の先輩会員への補償の要求等のトラブルが絶えず、本部に対しても、会員から苦情が寄せられたり、ときには、集団による抗議を受け、内村自身が詐欺罪で告訴され、民事訴訟を提起されるなどした。そこで、内村は、その矛先をそらすなどこれらに対処するためにも早急に団体の形態をとる必要を感じ、定款案の作成に取りかかったが、昭和四六年六月五日、所得税法違反の容疑により国税局の査察を受け、同四七年二月に同法違反の罪で逮捕・起訴されたため、その作業が一時頓挫したものの、これに先立つ同四六年一一月三〇日に、昭和四三年ないし昭和四五年分の所得について総税額二六億円の所得税更正処分及び重加算税賦課処分を受けたことから、税務対策上も右団体化が急がれることとなった。
(五) 本件創立総会の開催等
そこで、内村は、名称を「天下一家の会・第一相互経済研究所」とする人格のない社団(第一相研)の定款案策定のため、昭和四七年一月二七日に支部関係者一七名、本部関係者一〇名の出席の下に第一回発起人会を、同年五月一一日に支部関係者一五名及び本部関係者一一名の出席の下に第二回発起人会をそれぞれ開催し、第二発起人会では、併せて同年五月二〇日に創立総会を開催する旨等が決議された。そして、昭和四七年五月二〇日、数十名の会員の出席(その会員総会議事録によると、支部会員代表一四〇名中、委任状提出者五四名を含む出席会員代表者九四名、支部会員代表四名)の下に創立会員総会が開催され(この会員総会を、以下、「本件創立総会」という。)、原判決添付別紙四のとおりの定款案のほか、予算案及び理事選任案等がそれぞれ審議・可決され(以下、こうして可決された定款案を「本件定款」という。)、内村は、本件定款に基づく会長指名理事として長男文伴、内村の親戚に当たる内村竜象、中谷正次郎、堀鶴平及び本田俊雄らの五名を指名し、同日、引き続き理事会が開かれ、文伴及び中谷が副会長に選任されたが、副会長等の役員はもとより、その業務内容等も従前のとおりであった。そして、その後も、昭和五三年まで毎年五月に定時会員総会が、昭和四七年九月二八日及び同五二年九月八日に臨時会員総会が、同五四年四月一一日に定時会員総会がそれぞれ開催され、本判決添付別紙三のとおりの議事録(以下「本件各会員総会議事録」という。)がそれぞれ作成され、また、理事会もほぼ毎月一回の割合で開催され、原判決添付の別紙七「理事会議事録等一覧表」記載のとおりの議事録(以下「本件各理事会議事録」という。)が作成されている。
(六) 本件創立総会後の会計及び税務
本件創立総会開催後、本部事務所における従来の会計元帳を昭和四七年五月一九日付けをもって閉鎖し、同月二〇日付けをもって新規帳簿を備え付けて、その記帳を開始したが、同年一〇月二八日、経理規定<証拠略>が制定され、本部、支部及び研修所(保養所)ごとに会計諸表、帳簿書類を備え付けて、現金、預金その他の資産を記録すべき旨が定められ、これに従った処理が行われた。また、内村は、同年六月七日ころ、国税庁長官、熊本国税務局長、熊本県知事及び熊本市長に対し、いずれも第一相研内村健一名で第一相研の定款、基本財産目録及び創立総会議事録等を、同月一六日、所轄税務署に対し、「不備事項ご指導方のお願いについて」と題する書面をそれぞれ送付して第一相研が人格のない社団として成立した旨をアピールするとともに、同年七月四日、被控訴人西税務署長に対し、第一相互経済研究所内村健一名義の本部、支部及び研修所(保養所)の給与支払事務所を同年五月一九日付けで廃止し、新たに同月二〇日付けで第一相研内村健一名義の給与支払事務所を開設する旨届け出た。さらに、内村は、同四八年五月三一日、第一相研が人格のない社団に当たるとの前提に立った上、昭和四七年四月から同四八年三月までの会計年度のその法人税確定申告をするとともに、併せて内村個人の昭和四七年度の所得税の納税申告をし、以降、同様の申告をした。
(七) 本件創立総会後の事業
内村は、本件創立総会後も、新たな講を考案し、昭和四七年九月から「花の輪A、B、Cコース」を、同四九年九月「洗心協力会」を実施する(その各内容は、本判決添付の別紙一のとおり)とともに、各講の入会者の勧誘を効率的にするため、昭和四八年八月ころ、それ以前に設けられていた渉外部員制度を改めて思想普及員制度を設け、思想普及員に対して天下一家の会の思想に加えて講の組織や運営等についての教育を施すなどした上、講の新規加入者を勧誘指導した思想普及員に対して特典を与えてこれを優遇する一方、昭和四八年三月ころ、社会福祉事業を目的として昭和二二年七月に設立され、その後休眠状態にあった財団法人肥後厚生会(以下「肥後厚生会」という。)をその傘下に置き(内村は、昭和四八年三月一〇日、文伴、中谷ら四名とともにその理事となり、また、自ら会長に就任し、同年四月二〇日その旨の役員変更等の登記をした上、同年五月一八日にその名称を「財団法人天下一家の会」に変更する旨の登記をした。ただし、右変更登記は、昭和五二年一二月、主務官庁の許可を得ないでされたものであること及び理事会の承認手続に瑕疵があることを理由に職権抹消された。)、さらに、同年一一月、宗教法人大観宮(以下「大観宮」という。)を創立した(内村は、右創立と同時に自ら代表役員社主となり、事務所を相研ビルに、また、その社務所を熊本県阿蘇郡阿蘇町にそれぞれ置いた。)。内村は、右肥後厚生会及び大観宮について、表向きは、これをそれぞれ前記西村の思想である「心、和、救け合い」の「和」の実現の場であり、「心」を象徴するものである旨表明・宣伝していたが、同時にこれを講入会を募る手段として用いた。そして、内村は、昭和四九年四月以降、前記各講の入会金の二五パーセントを肥後厚生会、また、昭和五一年度以降、前記「洗心協力会」の入会金収入の二五パーセントを大観宮に対する各寄付金として計上し、それぞれその運営に充てた。
(八) 税務当局の対応と本件各課税処分
熊本国税局は、第一相研が法人税法二条八号の「法人でない社団」であり、第一相研が主宰するねずみ講事業は周旋業に当たり、その収益は課税の対象になると一応判断したものの、なお、疑問を払拭できなかったところから、昭和四九年五月一六日付けで上級庁である国税庁に対してその見解を求める旨の上申書を提出したところ、昭和五一年三月、国税庁から、熊本国税局の右判断とほぼ同様の見解である旨の回答が送られた。そこで、被控訴人熊本西税務署長は、昭和五一年三月一一日付けで、第一相研が昭和四七年五月二〇日以降人格のない社団になったとして、第一相研に対し、本件法人税更正及び過少申告加算税賦課決定処分並びに贈与税決定及び無申告加算税賦課決定処分をし、以降、原判決添付の別紙一1の「処分一覧表」のとおり、本件各更正処分をし、また、熊本県及び熊本市も、これを前提に、それぞれ原判決添付の別紙一2及び同3のとおり、法人県民税及び法人事業税の各更正処分並びに法人市民税の各更正処分をした。そして、第一相研は、前記のとおり、右各更正処分等に係る法人税等を納付し、徴収されたが、その後、右各処分等に対して不服の申立てをするに至った。
(九) 内村の管理処分行為と理事会
第一相研では、講事業の全国の拠点とするため東京事務所の開設を計画し、右開設費用五〇億円を昭和五一年度予算案に計上するとともに、同年七月一日の理事会において、右開設場所として東京都千代田区九段所在のビル(地上一〇階、地下二階、所有者株式会社長谷川工務店。以下「九段ビル」という。)を一六億円で買収することが審議された上なお検討課題として残されていたところ、内村は、同年九月二七日、自ら上京して右売買の話をとりまとめ、肥後厚生会(当時の名称は、財団法人天下一家の会)の名義でこれを買い受けるとともに、その代金(一三億五七〇〇万円)を講事業の入会金収入をもって充てた(九段ビルはその後その三階から九階までを第一相研の事務所として使用するようになった。)。また、内村は事前に理事会に付議することなく、保養所施設として東京都千代田区九段所在のマンション(以下「九段マンション」という。)を建築取得することを計画し、建築業者との間で売買契約を締結してその代金三億円を支払ったほか、大観宮の社務所のある平和道場に隣接して国際平和記念会館を建築するための建築請負契約を締結してその代金として三億円を支払った。なお、内村ないし第一相研は、前記のとおり、当初本件各更正処分等に従い、本税及び加算税等を納付したが、その総勘定元帳にはこれが仮払金税金である旨記載されており、これに従った会計処理がされた。
(一〇) 本件ねずみ講の社会問題化
ところで、本件ねずみ講の入会者が増加する一方でこれをめぐるトラブルも頻発し、本件ねずみ講が反社会性の強いものとしてマスコミ等でも取り上げられて社会問題化した。また、昭和四九年三月に国会でねずみ講問題が取り上げられたのを始め、政府部内においても消費者保護のための立法をも含めた措置をとることが検討され、昭和五一年六月には、大蔵省及び国税庁を含む関係省庁による連絡会が設けられた。他方、長野県内のねずみ講の入会者から内村健一らに対し、本件ねずみ講の入会契約が公序良俗に反する無効なものであるとして、入会金の返還を求めた訴訟(長野地方裁判所昭和四七年(ワ)第三二号入会金等返還請求事件)において、同裁判所は、同五二年三月三〇日、右原告らの主張を容れて、請求認容の判決を言い渡したが、同時にその理由中において、第一相互経済研究所は、昭和四五、六年当時権利能力なき社団といえる実体はなく、第一相研の名称で内村個人が本件各講を主宰していたものにすぎず、また、昭和四七年五月に本件定款を作成して組織機構を整備した後も、第一相研こと内村健一というべき一体不可分の実質関係にあると認められる旨判示し、ここに本件ねずみ講事業の実態について初めての司法判断が示されるに至った。そして、そのころから、本件ねずみ講の入会者が激減する一方、国会においてもねずみ講の禁止を内容とする立法化が進められ、昭和五三年一〇月一八日、いわゆる議員立法により無限連鎖講の防止に関する法律が成立し、同五四年五月一日からこれが施行されるに至った。
(一一) 内村の対応
その一方で、内村は、本件各ねずみ講の運営主体を第一相研からその関係法人に変更し、併せて、基本財産の名義を変更するなどした。すなわち、昭和五二年九月八日開催の臨時会員総会で、大観宮において講を実施する旨の決議がされ、その後間もなく第一相研の基本財産や本件創立総会後に取得した不動産についてその名義等が内村個人から大観宮名義に変更され、建設中の九段マンションや国際平和記念会館もその注文主の変更手続が取られ、現に第一相研が使用中の相研ビル等については、第一相研が大観宮から賃借する形式が取られた。また、昭和五二年七月二二日に開かれた第一相研の理事会において、太子講の実施が議決されたものの、その後右太子講は、大観宮が事業主となり実施された。なお、前記昭和五二年九月八日の臨時会員総会は、内村の刑事事件に対処するために開催されたものであるが、席上、内村から前記本件ねずみ講の事業主体の変更等の議題が緊急提案され、何らの質疑応答もなくわずか三分でこれが可決されたものである。
ところで、内村は、昭和五二年一一、一二月、いったん大観宮に移転された右財産等のうち、現金及び預金等約六〇億円について返還手続をとった上、これをもって、第一相研の法人税の支払等に充て、同年一二月、財団法人天下一家の会に入金していた三〇億円を自ら設立して理事長に就任した社会福祉法人豊徳会に寄付する手続をとったほか、同五三年三月三一日、前記九段マンション及び国際平和記念会館の建設工事の追加費用一六億円に充てるためとして、同額を第一相研から大観宮に贈与する手続をとり、同年五月には、第一相研の昭和五一年度の法人税約三四億円を大観宮及び財団法人天下一家の会の会計から支払ったが、これらの手続や処理は、内村の一存で行われたものであった。
(一二) 内村は、昭和五三年一一月八日、本件ねずみ講事業が内村の個人事業に当たるとの前提の下に、本件ねずみ講による所得のほ脱等を理由とする所得税法違反の罪により懲役三年(執行猶予三年)の有罪判決を受けたほか、同年一二月一九日、静岡県の講入会者からの入会金返還請求訴訟において、請求認容(内村敗訴)の判決を受けたことから、その対応に追われたこともあって、間もなくして本件ねずみ講事業の閉鎖を余儀なくされた。なお、第一相研の昭和五三年三月三一日期の決算では、次期繰越金は二二万円にすぎなかった。
(一三) 昭和五四年四月一一日に開催された第一相研の定時会員総会において、本件ねずみ講の停止宣言がされ、その後清算手続も行われないまま消滅した。また、内村も、同月一〇日の本件ねずみ講の入会者の申立てにより、同五五年二月二〇日、破産者を「第一相研こと内村健一」とする破産宣告を受け、本件控訴人らがその破産管財人に選任されたが、その決定の理由中に判示された内村の債務総額は一八九六億円余にのぼった。
なお、その後、内村の破産管財人から大観宮や財団法人天下一家の会に対し、かつて第一相研の基本財産等とされた不動産等についてその返還等を求める訴訟が提起されたが、いずれも、これが内村の個人資産であることを前提に請求認容の判決が出された。
2 ところで、人的結合体がその各構成員とは別の独立した社会的存在としていわゆる人格のない社団に当たるということができるためには、それが団体としての組織を備え、多数決の原則が行われ、その構成員の変更にもかかわらず団体そのものが存続し、その組織において代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が確定していることを要する。そして、このような人的結合体が、社会関係において、全一体として現われ、その構成員たる個人が重要性を失っている点において、同じく人的団体である民法上の組合との間に一線が画されるのであるが、他方、同じく複数の人を含む組織体でありながら、その組織体がこれら複数の人からなる人的結合体であるかどうか、すなわち各個人が等しく組織体の構成要素としてその運営に主体的に参画できるものであるかどうかが、多数の従業員等を組織的に使用する個人企業と区別されるべき要点となる。したがって、すなわち、人格のない社団が人を構成要素とする人的結合体である以上、まずもってその構成員の存在と範囲が確定し得るものでなければならず、その意思の総和が団体の存立の基礎になるのであるから、その総和としての団体意思が特定の個人の意思によって左右されない構造となっていることが不可欠の要件となるのである。そこで、以下、第一相研について、(1) その根本規範である定款の存在とその効力、(2) その構成員の要件とその在り様、(3) 構成員の意思の総和である団体意思を形成するものとしての会員総会の意思形成の仕組みとその実態、(4) 業務執行ないしその機関の実態、(5) 財産の帰属の在り方等を検討し、第一相研が人格のない社団に当たるかどうか、すなわち社団性の当否について判断することとする。
なお、控訴人らは、第一相研の社団性の有無、当否に関し、社団が有効に成立するためには、前記要件のほか、当該社団設立行為が民法九〇条等法律行為一般に関する有効要件を備えていなければならないところ、第一相研は公序良俗に反するねずみ講事業を遂行する組織であるから、このような事業を行う社団の設立行為は民法九〇条に照らし違法無効である旨主張するが、採用できない。すなわち、人格のない社団が成立するかどうかは、当該人格のない社団が社会的実体を有するものとして実在するかどうかにより決せられるべきものであり、当該人格のない社団の設立目的のいかんに左右されるものではない。そして、人格のない社団として実在するに至った後は、当該人格のない社団は活動を開始し、必然的に多数の法律関係を形成し、殊に対外的関係においては、当該人格のない社団の財産を引き当てとして法律関係を形成する第三者が生じてくるから、当該人格のない社団の真の設立目的が不法なものであるという一事から直ちに当該人格のない社団の設立行為の効力が否定されると、法律関係の安定を著しく害する結果となり、このことは、法人格を認められた社団、すなわち法人においてさえ、法人が公益を害すべき行為をし、また、設立が不法の目的をもってなされたときなど、他の方法により監督の目的を達することが不可能である場合には、公益法人であっては主務官庁が設立許可を取り消すこととされ(民法七一条)、営利法人にあっては裁判所が法務大臣、株主等の請求により会社解散命令を発することとされるが(商法五八条一項一号)、当該法人は解散して清算手続に移行するにとどまるのであって、それ以前に行った法律行為の効力が否定されるものではないことに照らしても明らかといわなければならないからである。
また、被控訴人らは、民事実体法上の人格のない社団と税法上の「人格のない社団等」(法人税法四条ただし書)とは異なる概念である旨主張する。しかしながら、税法上の人格のない社団の概念も、当該社団が社会的に実在することに着眼し、権利能力のない社団として認知された民事実体法上の概念を借用した上、納税主体をこのような社団概念に準拠して捕捉使用とするものであるから、民事実体法上の人格のない社団の概念と同義に解するのが相当である。したがって、右主張も採用することができない。
(一) 定款の存在とその有効性(定款作成上の問題)について
定款は、社団の根本規範である以上、社団成立時の構成員全員の意思に基づくか、少なくともこれが反映されたものでなければならない。本件定款は、前記のとおりの経緯で作成され、本件創立総会の議決により成立確定されたものの、後記のとおり、その構成員の要件や範囲自体が不明確であるのみならず、本件創立総会開催当時、二八万〇九二八口の講の加入者が存在したにもかかわらず、実際にはわずか数十人の会員が出席して開催された本件創立総会により、承認されたものであり、後記のとおり、本件創立総会開催当時の本件各講の入会者全員を第一相研の会員と考える以上、本件定款の成立及びその内容それ自体が会員の総意に基づくものであるかどうか、したがって、その有効性について多大の疑問が残る。ただ、定款の成立の過程において疑義が存しても、これが社団の根本規範としてその構成員全員に支持され定着確定した場合には、あえてその効力を否定すべきものでもないところから、それのみでは、第一相研の社団性を否定し去ることもできない。
(二) 構成員について
(1) 本件定款では、第一相研の構成員である会員の資格について、「本会の目的に賛同し、本会の立案育成する相互扶助の組織に加入したものを会員とする。」(七条一項)、「前項の組織に加入するにはその都度所定の申込書に入会金を添えて本会に提出するものとする。」(同二項)とするほか、「会員となった者は毎年一回以上同一組織に加入するものとする。」(同三項)とする一方、その資格喪失について、「(1) 会員が死亡したとき」、「(2) 会員から退会の申出があったとき」及び「(3) 会員が本会の定款の規定に違反したため除名されたとき」に会員としての資格を失う旨(八条)を定める。右定款の規定からは、会員の資格取得の事由自体は明確ではあるものの、第一相研の設立の時とも関連し、いつの時点から本件ねずみ講に入会した者が第一相研の会員となるのかについては、定款上何らの定めもなく明らかではない。さらに、会員としての地位の喪失については、これが右八条各号の資格喪失の事由に当たる場合に限定されるのか、七条三項により、いったん会員となった者が一年後に同一の組織に加入しなかった場合も、これに含まれるのかは必ずしも明らかでない。もっとも、後者の点については、これを形式的に解釈し、一年後に同一の組織に加入しない限り、会員たる地位を失うものとすることは、本件ねずみ講の加入者でありながら、第一相研の会員としての地位を認められない者を生み出す結果を招来するものであって相当とはいえない上、会員の資格喪失の事由を列挙し限定している本件定款の趣旨にも沿うものでもないが、後記のとおり、現に理事に就任した者の間においてさえ、その理解が分かれたことや会員の保養所利用期間が一年間に制限されていたこと等を考慮すると、結局、第一相研の構成員の要件ないし範囲は、定款上も明確でないといわざるを得ない。
(2) <証拠略>を総合すれば、第一相研の会員資格について、理事の間でも、本件ねずみ講の入会者が特定のコースで満額の配当を受けた場合は、その時点で会員資格を失うとする考え方と当然にはその地位を失わないとする考え方とがあり、また、会員が死亡した場合にその相続人が地位を承継するのかどうか、さらには、名義変更により会員としての地位を失う方法が認められるのかどうか等についても、見解が分かれていたことが認められる。そして、後記のとおり、昭和四八年一月二三日開催の理事会により、県支部における会員代表選出の資格を有する会員は、昭和四六年六月五日の査察以降の入会者に限られるなど会員の範囲及び資格についての実際の扱いにも一貫したものがなかった。加えて、本件各ねずみ講の入会者は、満額の配当が早期に受けられること、すなわち自ら加入した講のコースの後輩会員が早期にかつ多数加入することにこそ関心があるのであって、自ら加入していないねずみ講を含む本件各ねずみ講全体の運営を目的とする第一相研についてその構成員であるとの認識があったかどうかはなはだ疑問といわざるを得ない。
(三) 会員総会について
(1) 会員総会に関する定款等の定め
第一相研には、その意思決定機関として会員総会が設けられているが、本件定款上、会員総会は、各支部において選出された会員代表によって構成され、会員代表の数は、各支部の会員数に応じて理事会で決定し(一五条)、会員総会の運営は、会長が議長としてこれに当たり(一六条)、その決議は、会員代表の二分の一以上が出席して、その過半数をもってこれを決すること(一七条)とされ、その付議事項として、<1>基本財産の処分、<2>歳入歳出予算及び歳入歳出決算の承認、<3>定款の変更、<4>その他会長の付議する事項が定められている(一八条)。
(2) 会員総会の構成員である会員代表選任の適正さ
本件定款は、右のとおり、会員総会の構成員である会員代表について、理事会がその数を決定する旨定め、本件定款五条に従って定められた支部規則(本判決添付の別紙二)では、支部長が定款第一五条の規定に従い、毎年、理事会が定める数の会員代表を、定時総会開催の予定日の一か月前までに会員の選挙もしくは互選の方法により選出しておくべき旨、そして、会員代表を選出したときは、速やかに、会員代表名簿を作成して会長に報告すべき旨(一二条)が定められている。
<1> 理事会における会員代表数の決定
<証拠略>によれば、昭和四七年五月一二日、同年八月二六日、同四八年一月二三日、同四九年三月一二日、同五〇年四月三〇日、同五一年一月二一日、同五二年一月一八日、同五三年一月一九日及び同五四年一月三一日にそれぞれ開かれた理事会において、昭和四七年から昭和五三年までの間、各定時会員総会の開催に向けて各県支部選出の会員代表の数が決定されたこと(昭和四七年五月一二日開催の理事会では、熊本県支部は二〇名、その余の各県支部は一五名とし、その選出方法は、各県の実情に応じて各県支部にゆだねること、同年八月二六日開催の理事会では、今後各県支部選出の会員代表数は各県支部五名とするが、既存の県支部の会員代表数は従前どおりとすること、昭和四八年一月二三日開催の理事会では、対象を昭和四六年六月五日の査察以後の会員に限り、県支部の存在しない県については隣接する県支部が担当して会員代表を決定することとし、会員代表の総数は一二〇名とすること、昭和四九年三月一二日開催の理事会では、各県別入会口数に基づき昭和四九会計年度会員代表数を一八〇名すること、昭和五〇年四月三〇日開催の理事会では、昭和五〇年の会員代表数を決定したが、人数は明らかでなく、昭和五一年一月一二日開催の理事会では、昭和五一年度の会員代表数を三〇〇名とすることに決定し、各県会員代表数は、一年間の各県の会員増加数の実態を考慮した上、各理事が調整して各県別代表数を決定したこと、昭和五二年一月一八日開催の理事会では、昭和五二会計年度の会員代表数を前年同様三〇〇名と決定し、支部の存在する県から二名以上選出すべきであるという意見に基づき、四一都道府県の配分を決定したこと、昭和五三年一月一九日開催の理事会では、昭和五三会計年度の会員代表数を前年同様三〇〇名と決定し、各県別の代表の配分については、一都道府県各二名とし、残りを会員数で比例配分することとして、四七都道府県の配分を決定したこと、昭和五四年一月三一日開催の理事会では、四七都道府県全体の会員表数を一五〇名に減員し、県支部、連絡事務所所在県の代表会員を二名とし、その余を入会口数四〇〇口につき一名選出する旨の決定をしたこと)が認められる。
しかしながら、右認定の会員代表数決定の仕方からも明らかなとおり、理事会による会員代表数の決定については、その基準に一貫したものがなく、恣意的といわざるを得ない。もっとも、後の理事会においては、各県支部の会員の増加数を考慮して右数を決めてはいるが、会員と口数の関係が判然としない上、各決定に際し、会員の増加数についての実態の把握が十分であったことを認めるに足りる証拠もない。
<2> 県支部における会員代表の選出
<証拠略>によると、各県支部は、理事会が決定した数の会員代表を選出するため、各県支部大会を開催したこと(昭和四八年から同五二年までのその開催の状況は、原判決添付の別紙六の「昭和48年ないし昭和52年における県支部大会の開催状況」記載のとおり)が認められ、また、会員代表選出のための支部大会を開催する際、右開催がある旨地元紙に広告を掲載したり、チラシを作成して新聞の折り込みを行ったり、往復はがきや案内状を送付したり、県支部の下部機関である地区支部の役員や思想普及員である研修生を通じて口頭や電話で支部大会の開催を会員に通知し、その結果、大会に相当数の会員が出席し、中には一〇〇〇名以上の会員が出席した支部もあったことが認められる(<証拠略>)。
しかしながら、支部運営規則にも、代表選出の対象となる会員の範囲、会員代表選出のための支部大会開催の要否、代表会員選出の方法について何らの定めもなく、各県支部において会員代表を選出する資格が認められた会員は、前記のとおり、昭和四八年一月二三日の理事会により、昭和四六年六月五日の査察以降の入会者に限られることになった上、<証拠略>によると、右選出資格者の実態は、各県支部によってまちまちであり、多数の県支部では、入会後一ないし二年の者に限って支部総会開催の通知が送られていたこと、及びその会員代表選出の方法も、具体的な選出方法について定めない県支部も多数存し、その方法も確定していなかったことが認められる。
(3) 会員総会の開催状況
第一相研では、本件各会員総会議事録記載のとおり、本件創立総会のほか、本件定款に従い毎年五月中に定時総会が開催され、歳入歳出予算及び歳入歳出決算の各承認や基本財産の処分等の議題について審議採決が行われ、また、昭和四七年九月二八日及び同五二年九月八日には臨時会員総会が、同五四年四月一一日には定時会員総会がそれぞれ開催され、一定の議題についてそれぞれ審議採決が行われているところ、いずれの会員総会も、一定の役員や定足数を満たす会員代表者が出席していること、右議事や議決の結果は、「天下一家の会員ニュース広報」のほか、会計年度ごとに作成される事業報告書でも、本件定款の内容や事業内容とともに事業報告・予算等として掲載され、これが本部や支部事務所に備え付けられていることが認められる<証拠略>。
しかしなから、前記1(二)のとおり、内村は、昭和五二年九月八日開催の臨時会員総会において、ねずみ講の事業主体の変更等の議題を緊急提案し、何らの質疑応答もなく、これを可決成立させるなど、会員総会の議決も、内村の考え方に依存していたことが推認される。
(四) 業務執行機関ないしその実態について
本件定款には、その第五章で、役員及び理事会について定め、役員として、会長一人、副会長二人、理事一五人以上三〇人以内、監事三人をそれぞれ置く旨が定められている。
(1) 理事会
<1> 構成等
本件定款によると、理事会は理事によって構成される(二一条三項)が、理事は、その定員が一五名以上三〇名以内であるところ(一九条)、内村が終身理事であるほか、内村が理事の三分の一を指名し、その余の理事及び監事を、会員の中から会員総会が決議により選任することとされている(二〇条)。そして、事業計画、支部の設置、歳入歳出予算及び歳入歳出決算に関する議案、定款変更に関する議案、その他会長の付議する事項が、理事会の付議事項とされている<証拠略>。しかし、理事会の定足数や議決の方法等については定款上の定めはない。
<2> 決定事項等
昭和四七年七月二〇日以降、本件各理事会議事録のとおり、ほぼ毎月理事会が開催され、会長及び副会長の各報酬額、各研修保養所の老人クラブに対する開放、研修・保養所の解体、新たな支部設置の承認、新講組織の開設、支部経費の支給額の決定、県支部経理規定の制定を早急に行うべきこと、支部運営規則の承認・決定、旧蓄研用地の基本財産組入れ、決算及び予算案の策定方針の承認、支部提案の事業計画の承認、顧問・参与を置くことの決定、希望会員に対する平和道場での研修の承認、役員報酬及び職員期末手当並びに旅費日当の決定、本部隣接地の買収、大観宮建設用地の取得名義の変更、財団法人天下一家の会への基本財産譲渡等の議題が審議・採択されてきた<証拠略>。
しかしながら、前記のとおり、内村は長男文伴ら五名を指名理事として理事に指名し、内文伴及び中谷正次郎を副会長に任命したが、理事の多くは県外者であり、常勤の理事は内村のほか、文伴及び中谷にとどまったため、理事会の議題は基本的には内村が作成し、これが提案どおり可決されるのが一般的であり、また、理事会で議決された事項が内村によって実行に移されないことも多く<証拠略>、また、理事会の承認なく理事の報酬が引き上げられたり、前記1(九)認定のとおり、理事会に諮ることなく、内村の一存で、重要な財産の取得や処分が行われることも少なくなかった。
(2) 会長
本件定款上、内村が終身理事かつ会長とされ(二〇条)、会長が第一相研を統括・代表すると定められ(二一条一項)、会長が会務執行の決定機関である理事会(同二一条三項)で決定した事項について団体を代表する執行機関とされていた<証拠略>。そして、内村は、実際上も、第一相研の代表者として、後記のとおり不動産の取引等を行い、また、税務申告等を行ったほか、前記1(九)のとおり、理事会に諮らないまま、重要な財産の処分等を行った。
(3) その他の組織
<1> 本部組織
前記1(三)認定のとおり、内村は、本件各ねずみ講の本部事務所を相研ビルに置いたが、本件創立総会後も、引き続き、従前と同様の形で、これを第一相研の本部事務所とした。そして、右本部事務所には、従前と同様、本件ねずみ講の事務処理を行うための職員が多数勤務したが、理事としては、会長の内村、副会長の文伴及び中谷が常勤し、また、前記のとおり、肥後厚生会及び大観宮の役員も同人らが兼ねたことから、第一相研の経理や事務等は、事実上、内村の意向に従って処理された。
<証拠略>。
<2> 県支部組織
本件ねずみ講組織が拡大するに従い、数県において会員同士の親睦を図るため支部と称する組織が自然発生的につくられ、昭和四七年五月当時、青森県等八ないし一〇県においてその活動が活発であった。その後、本部の働きかけにより、これが第一相研の下部組織として組み入れられることになり、昭和四七年六月一七日、前記支部運営規則が設けられ、昭和四七年六月一七日の理事会で支部認可審査に関する規定の実施が議決され、これに基づき、その下部組織として数県において支部等が設置された。その結果、県支部として認可されたものが昭和五一年五月には一三、同五二年五月には約二〇に上り、前記のとおり、各地で会員代表選出等を議題とした県支部大会等が開催されるなどした<証拠略>。これらの県支部には、本部から給与の支払を受ける支部長(一部の支部長は理事を兼任)及び職員が置かれ、その運営費用は、社団の設立当初は本部から定額(月額三〇万円)の予算の範囲内で実費支弁されていたが、昭和四八年六月一九日の理事会決議以降は、人件費及び家賃を除き、本部に送金されてくる講加入者の入会金の一〇パーセント相当額の予算の範囲内で賄うべきこととされていた<証拠略>。また、支部運営規則上、県支部の下部組織として地区支部が設置され(五条)、県支部は、その所在する府県内の会員を所轄するとともに、県支部の存在しない近隣都道府県の全部又は一部をも管轄するものとされていた(四条)。
しかし、実際に支部として認可されたものは、全国の半分にしかすぎない上、その設置や廃止等に際して、これに要する理事会の決議はなく、適宜本部で処理するというのがその実態であり、支部の管轄についても、例えば、山形県支部の管轄に鹿児島<証拠略>、栃木<証拠略>、茨城<証拠略>及び千葉<証拠略>の各県が属し、秋田県支部の管轄に高知<証拠略>、東京<証拠略>、北海道<証拠略>、宮城<証拠略>、福島<証拠略>、神奈川<証拠略>、京都<証拠略>、静岡<証拠略>、岩手<証拠略>、の各都県が属するなど、前記支部運営規則に従っていないのみならず、統一された組織としての体をなしていなかった。また、支部長の交代に際してその引継ぎが行われず<証拠略>、その職務内容について理解していない支部長もいる<証拠略>など支部役員も名目だけの者が多数存在したことが推認される。なお、支部活動と関連して、前記1(七)のとおり、思想普及員の制度が設けられたが、思想普及員も、その実態は、本件ねずみ講の新規入会者を勧誘する役割を担う存在にとどまった。
(五) 団体財産の管理、経理処理について
(1) 第一相研では、本件定款により、従前内村の所有に属した相研ビルの土地建物(自動車、バス等の動産類を含む。)、八つの保養所及びその他の不動産について、これをその基本財産に組み入れるとともに、新たな基本財産への繰入れは理事会で行い(九条)、基本財産の処分には会員総会の承認を要する(一一条)旨基本財産の管理等について規定を設けたほか、前記1(六)のとおり、本件創立総会の開催日である昭和四七年五月二〇日以降、決算に必要な独自の諸帳簿(収支計算書、本部経費帳、資産元帳、損益元帳)を新規に備え、同年一〇月二八日には、本部、支部、研修所(保養所)ごとに会計諸表、帳簿書類を備え付け、現金、預金その他の資産の出納及び管理について記帳すべきこと等を定めた経理規程を制定し、各支部においても同経理規程に従った処理がされ、また、不動産等の取引や預金口座の名義も、「天下一家の会・第一相互経済研究所・会長内村健一」の名義を使用し、その印鑑も第一相研の団体印と会長印を使用し、各県支部においても、第一相研の支部名義が使用されるようになった。そして、第一相互経済研究所内村健一名義の給与支払事務所は、昭和四七年五月一九日に廃止され、翌二〇日に第一相研名義の給与支払事務所を新たに開設した旨の届出書が、同年七月四日、被控訴人熊本西税務署長に提出され<証拠略>、昭和四七年四月一日から昭和四八年三月三一日までの事業年度以降の事業年度に係る第一相研名義の法人税の確定申告書は、内村健一個人の所得税の確定申告書とは別途に提出されている<証拠略>。さらに、昭和四八年四月一日から昭和四九年三月三一日まで及び同年四月一日から昭和五〇年三月三一日までの各事業年度分についての法人税の更正処分に対する異議申立てや、被控訴人熊本西税務署長に対する郵便物の返送の添書<証拠略>、内村に対する給与支払に係る給与所得の源泉徴収票<証拠略>が、いずれも第一相研の名義によっており、熊本社会保険事務所に提出された社会保険の新規適用現況届には第一相研が事業主とされ、内村を含め第一相研の職員に対し適用認可された<証拠略>ほか、第一相研は、第一相研に対する法人税の更正処分及び贈与税の決定処分に係る本税を、その事業活動から生じた資金をもって自主的に自己名義で納付し、国税局が発行した第一相研宛の領収証を受領した<証拠略>。
(2) しかしながら、相研ビルの土地建物等第一相研の基本財産に組み入れるべき財産については、本件定款に別紙としてその目録を掲げるにとどまり、貸借対照表、固定資産台帳及び什器備品台帳など通常作成されるべき帳簿類の作成がされていない一方、第一相研の目的は、実質的には、本件ねずみ講事業を主宰することでありながら、内村が従前個人として主宰してきたねずみ講事業承継の手続が明確にされていないことが認められる(弁論の全趣旨)。また、内村は、所定の手続によらずに、その一存で、重要な財産の取得、処分を行っていることは前記1(九)及び同(二)認定のとおりである。
3 結論
以上のとおり、確かに、第一相研においては、定款(本件定款)が定められ、第一相研の目的、その構成員としての会員のほか、意思決定機関としての会員総会、業務執行機関ないし代表機関としての理事会ないし会長等を置く旨、及びその内容、さらには資産ないしその管理及び会計処理の方法等について規定するとともに、実際上も、定時・臨時の会員総会や多数回にわたる理事会を開催して、それぞれ一定の議題について審議・議決し、また、その財産の管理運営を行い、所定の会計帳簿等を備え付けて記帳するなど、団体としての主要な点が確定し、実施されているようにも見える。しかしながら、第一相研の構成員の範囲等については、前記のとおり多大な疑義がある上、定款上はその構成員である本件各ねずみ講の会員であっても、団体意思の形成に参画できない者も構造的に多数存在し、会員総会や理事会も、そこでの各議決が、基本的には本部すなわち内村が決めたところを追認するだけのものであり、団体意思の形成、実現という観点からすると、その実質を有しない形式的なものにすぎないといわざるを得ない。のみならず、第一相研は、内村が起こし、実施してきた内村の個人事業(本件ねずみ講組織)が社団化したものとされるが、本件定款上も、第一相研の代表者である会長として、内村が終身これに就任する旨定めるなど社団の代表者に関する規定としては異例ともいうべき定めを置いているだけでなく、現に、理事会の議決等に拘束されることなく内村の一存で財産の処分等を行い、また、内村が破産宣告を受けるのと前後して、第一相研としての活動もその資産の存在もことごとく消失してしまった経緯からもうかがわれるとおり、第一相研は、内村の存在なしにはその存続が不可能な組織というほかなく、第一相研名義でされた第三者との取引や税務申告等も、内村の当初の目論見どおり、税金等を免脱するため社団化を装う手段としてのものにすぎない。もとより、世上、いわゆる団体としての実体を伴わないワンマン法人や形骸化した法人等も多数存在するが、許可ないし認可という一定の行為によりその存在(法人格)が認められる法人の場合とは異なり、専ら人的結合のみをよりどころとして、その社会的実在が肯定される人格のない社団においては、その存続が特定の個人に依存するといったことは、その実在と相容れないものといわざるを得ない。結局、第一相研は、多くの裁判例が判示するとおり、内村の個人事業ないし内村の別称とみるほかないというべきである。
三 争点3(本件各更正処分等の有効性)について
行政処分は、いったんこれが行われるとこれを前提に後続の処分や多数の法律関係が積み重ねられるため、後に当該行政処分の効力が覆されると著しく法的安定性を害することになる。そこで、法は、行政処分に公定力を認め、当該処分に瑕疵があってもこれが取り消されない限り、その効力を認めるほか、不服申立ての期間を定め、その期間が経過した後はこれを争うことができないものとしている。したがって、一般に、行政処分が、その取消しを待たずに、無効として、その効力が否定されるのは、当該処分の瑕疵が重大であり、かつ、明白な場合でなければならないとされている。しかし、このような行政処分及びその瑕疵の構造に照らすと、当該行政処分がその外形は存するものの(その外形すら存在しなければ行政処分の効力を問題にする余地はない。)、実質的にはその存在が否定されるような場合や、これと同視されるような処分の根幹に関わる極めて重大な瑕疵がある場合であって、しかも、このような処分を信頼する第三者の保護を考慮する必要がないような場合等には、不服申立期間の徒過による不可争的効果の発生等を敢えて認める必要もないところから、それだけで(瑕疵の明白性を問題とすることなく)当該処分が無効になるものと解するのも、全く当を得ないものということはできない。
ところで、一定の所得や収入に対する課税処分の場合、その所得ないし収入の帰属主体が個人であるか、又は法人であるかは、これに対して所得税法により所得税を賦課するか、又は法人税法により法人税を賦課するかが問題となるのであって、その過誤は、単に課税標準や税率等を誤った場合等とは異なり、その基礎にある課税上の根本思想にも関わるものであるところから、重大な瑕疵といわざるを得ない。のみならず、社団性を有しないものに対し、これを有するものとしてした課税処分は、単に当該収入の帰属主体や課税処分の客体の認定判断を誤るにとどまらず、そもそも存在しない虚無人を名宛人とするものであるから(実質的にはその収入がその背後にいる個人に帰属することになるため、個人に対して課税することができるが、法人税と個人所得税とではその適用法条を異にする以上、虚無人に対する課税処分を実質的にみて個人を名宛人とするものとみることはできない。)、処分の存否それ自体に関わる重大な瑕疵といわざるを得ない。そして、本件各更正処分等のような課税処分の場合には、これを前提ないし信頼して新たな法律関係を構築すべき第三者の存在を考え難い上、本件においてもこのような第三者の存在することについて主張立証もない以上、特にそのために本件各更正処分等を有効とすべき理由もない。したがって、第一相研が人格のない社団に当たるものとしてした本件各更正処分等は、徴税行政の安定やその円滑な運営の要請等を考慮してもなお、処分の存否ないしその根幹に関わる重大な瑕疵があるものとして無効というべきである。
四 争点4(禁反言ないし信義則違反)について
1 確かに、(1) 内村は、本件創立総会以降、自ら第一相研が人格のない社団として成立したものであるとして、その名において事業活動を展開し、第一相研の収入について法人税の申告をするとともにこれとは別に自らの所得税の申告等をしているのであって、その事業主体である内村自身第一相研が人格のない社団であるとの虚偽の外観を作出したものということができる。(2) これに対し、課税庁は、課税の空白を避けるとともに公平な税負担を実現するため、本件ねずみ講等の事業による所得ないし収入についてこれに法人税を課するか、又は所得税を課するか二者択一を迫られることになるところ、その一方で、特に本件のように高額の収入や所得に関しては、累進課税の適用のある所得税による課税よりも法人税による課税の方がより低額の税負担ですむところから、そのいずれであるか判断が微妙な事案では、課税庁としてはむしろ当該収入が個人の事業収入であることについて立証責任があるといわざるを得ないから、被控訴人西税務署長において、その独自の調査にもかかわらず、右ねずみ講事業による収入が内村個人の収入であることについて確信が得られない以上、内村によって作出された外観を信頼して、第一相研が人格のない社団に当たるものと判断し、これに法人税を課するのもやむを得ない面がある。(3) しかも、内村は、本件各更正処分等によってより高額の所得税の負担を免れる利益を享受しながら、本件各更正処分等後も、第一相研が社団であるように装い、第一相研の代表者として、本件各更正処分等について別の違法事由を主張してその取消しを求めて提訴したため、被控訴人らも第一相研が社団であることを前提にこれに応訴せざるを得なかったものであるところ、そのこともあって、内村個人の所得税についての五年の更正期間が経過し、今や内村個人に対し所得税等を賦課してこれを徴収することが不可能となったのであるから、内村の破産管財人に対し、本件各更正処分等の無効等を理由に既納付の法人税の返還を認めることは、内村に対し、所得税額と法人税額の差額に加え、法人税額そのものを免脱させる結果を容認するものということもできる。
2 しかしながら、
(一) 前記のとおり、人格のない社団は、社会的関係において、団体が全一体として現われ、その構成分子である個人が全く重要性を失っているところにその存在を認める要点があるものであるが、第一相研は、昭和四七年五月二〇日の本件創立総会以降、定款等を備えることになったとはいえ、その実質は、内村が起こした個人事業そのものというほかなく、内村の存在をぬきにはその存続自体を考えることのできない態様のものであって、その間の事情は、従前、本件ねずみ講による収入を内村個人の事業収入として課税してきた被控訴人側にとって十分明らかであったというべきである。そして、法人格を有しない個人企業がその実態がないのにもかかわらず税金対策等のみのため、社団化を装うことも十分にあり得ることであるところ、その調査のための組織と権限を備えている課税庁としては、より慎重な対応が要求されるのであり、被控訴人西税務署長としても、本件ねずみ講の仕組みや第一相研成立の経緯等に照らしても、その実態を知り得たものというべきである。
(二) 現に、熊本国税局においては、第一相研の社団性について疑問を持ち、国税庁に対して意見を求めているところ、国税庁もその検討のために長期にわたる調査を行い、結果として、第一相研の社団性を肯定したものの、その判断過程には、講の加入者全員を社団である第一相研の構成員としながら、その入会金を社団の事業収入であるとするなどなお説明を要する点もあることが認められる<証拠略>。
(三) また、急速に拡大する本件ねずみ講組織の反社会性や弊害が社会問題化し、国税庁においても、その対策が検討される一方、昭和五二年三月三〇日には長野地方裁判所において、本件ねずみ講の入会契約が公序良俗に反する無効のものとするとともに、第一相研及びその前身の第一相互経済研究所が人格のない社団に当たらない旨の司法判断が示されたのであって、国税当局としても、遅くともその時点では、第一相研の実態及びその法的性質について再考の機会が与えられたものというべきである。
(四) 確かに、前記のとおり、第一相研が人格のない社団であるとの外観を作出した内村が、所得税についての更正期間が経過した段階になって、右社団性を否定して、納付した法人税等の返還を求めることは、信義にもとるものといわなければならない。しかし、控訴人らは、内村の破産管財人であって、その地位を承継するものの、他方、破産財団の管理処分権を有し、その総債権者のために可能な限り有利となるような破産財団の形成に努めるべき責任を負うものであって、第三者的地位をも併有している。したがって、信義則や禁反言の原則の適用の場面において、内村と全く同視するのも相当でない。
3 結論
以上の点を総合し、本件各更正処分等について、第一相研が社団であるかどうかは、その処分の根幹をなす重要な問題であることをも併せて考慮すると、本件各課税処分のうち、昭和五二年三月三〇日までにされた処分に係る納付金(国税につき合計一五億〇四三七万九三〇〇円、法人県民税につき合計一〇五二万四三五〇円、法人市民税につき二六三万五二九〇円)についてその返還を求めることは信義則等に照らして相当でないとしても、その後の各課税処分に係る納付金の還付請求ないし返還請求は、信義則ないし禁反言の原則に反するものということはできない。
五 争点4(消滅時効)について
1 控訴人らの被控訴人らに対する金銭請求は、本件各更正処分等に係る租税債務の履行として納付又は徴収された金員について、右債務の不存在を理由にその返還を求めるものであって、過誤納金の還付を求めるものに当たるが、過誤納金の還付請求権は、その請求ができるときから五年の消滅時効にかかり(国税通則法七四条一項)、当事者の援用を要しないこととされている(同二項、七二条二項)。
ところで、控訴人らは、本件訴訟において、主位的に、右過誤納金の還付を求めるとともに、予備的に、不当利得返還請求権に基づく同額の金員の支払を求めるが、前者のほかに後者の請求権が認められるかどうかについては検討を要する問題ではあるが、この点は一応さておき、まず、右過誤納金の還付請求権が時効消滅したかどうか(時効中断の点を含めて)について、以下、判断する。
2 本件で控訴人らが返還ないし還付を求める金員は、内村ないし第一相研が、本件各課税処分に基づき、昭和五一年三月一一日から昭和五三年五月三一日までの間に、国、県及び市に対して納付した納付金であるところ、<証拠略>によると、内村は、昭和五三年、審査請求等を経た上、個人として昭和四七年度の内村個人に対する所得税更正処分の取消しを求める訴訟(熊本地方裁判所昭和五三年(行ウ)第七号。以下「所得税訴訟」という。)とともに、第一相研の代表者として、本件各更正処分等のうち、昭和四七ないし同四九年度の法人税の更正処分等及び昭和四七年度贈与税の更正処分の取消しを求める訴訟(熊本地方裁判所昭和五三年(行ウ)第六、第七号。以下「法人税等訴訟」という。)を同時に提起したこと、その後、控訴人らは、昭和五五年二月二〇日に内村が破産宣告を受けその破産管財人に選任されたことに伴い、所得税訴訟につき内村を受継する一方、同五六年五月ころ、内村と第一相研とが同一人格であることを理由に、法人税等訴訟についても受継の申立てをしたところ、同裁判所は、控訴人らは内村個人の破産管財人であって、社団である第一相研の代表者としての内村に訴訟の中断はないとして右申立てを却下したこと、右受継後の所得税訴訟において、控訴人らが、第一相研は人格のない社団に当たらないとして所得税更正処分の取消しを求めたところ、第一審裁判所は、昭和五九年二月二七日、これを容れ、請求認容の判決をしたこと、他方、法人税等訴訟においては、第一相研は、被控訴人西税務署長と同様、第一相研が人格のない社団に当たるとの前提に立った上で、第一相研は営利事業を目的とするものではないことを理由にして前記各更正処分等の取消しを求めたものであるところ、第一審裁判所は、右同日、所得税訴訟の第一審判決等を引用して第一相研の社団性を否定した上、第一相研は訴訟能力がないとして、結局、訴え却下の判決をしたこと、両判決に対してはいずれも課税庁側(本件被控訴人西税務署長)から控訴が提起された(法人税等訴訟の第一審判決に対しては第一相研からも附帯控訴の提起がされた。)が、控訴審においても、第一相研は人格のない社団に当たらないとして各第一審判決の結論が維持され、いずれも控訴棄却の判決がされたこと(平成二年七月一八日)、両訴訟とも、第一、二審を通じて同一の裁判体により同一の弁論期日が指定されて審理、判断がされたこと、所得税訴訟は平成二年八月一日、法人税等訴訟は同月二日いずれも上告期間の経過によりそれぞれ一審判決が確定したこと、熊本国税局長は、前者の判決の確定を受けて、控訴人らに対し、内村の納付額に還付加算金を付加した金額(合計一億一〇一九万四八〇〇円)を還付したが、本件各課税処分に基づく納付金についてはこれを還付しなかったこと、そこで、控訴人らは、同年九月二九日、国税庁長官に対し、不当利得を理由に右納付金の返還を求める一方、これに先立つ同年八月二一日、本件各更正処分等について異議申立てをし、その却下決定に対し、同年一二月一一日審査請求をした上、同月一四日本件訴訟を提起したものであること等の事実を認めることができる。
3 右認定事実によると、本件各課税処分に基づく各税金等の納付時から本件訴訟提起時までいずれも既に一〇年以上が経過しているものの、前記各訴訟は、各納付時から過誤納金還付請求権の消滅時効期間である五年内にそれぞれ提起されたものであることが明らかである。確かに、所得税訴訟は、内村個人の所得税の更正処分等の取消しを求めるものであって、本件各課税処分の取消し等を求めるものではない。また、法人税等訴訟も、その当事者(原告)は第一相研であって、内村ないしその破産管財人である控訴人らではない上、同訴訟は前記のとおり当事者能力のないものの訴訟提起として訴え却下の確定判決がされているのである。したがって、形式的にみる限り、右両訴訟の提起は、内村個人を権利主体とする本件各課税処分に係る過誤納金の返還請求権についての消滅時効の中断事由には当たらないものということができる。しかしながら、前記のとおり、両訴訟とも、実質的には内村の意思に基づいて訴訟提起されたものであり、その後の手続においても、いずれも同一の裁判体により、同一の口頭弁論期日が指定されて審理が行われ、口頭弁論期日には控訴人らを含む各当事者が同席しているのであって、両事件の判決も、第一、第二審とも同一期日に言い渡されている。のみならず、本件各更正処分等の適否は、第一相研の社団性の有無にかかるところ、両訴訟とも、その最大の争点は、第一相研が人格のない社団に当たるかどうかの点にあり、各当事者の弁論もこの点をめぐって展開されていることに加え、前記のとおり、第一相研が人格のない社団に当たらないというにとどまらず、その実質は内村そのものであるというのであるから、形式的な理由により受継の申立てが認められなかったとはいえ、右申立てをした控訴人らが、法人税等訴訟についても自らをその実質上の当事者と考え(しかも、その時点では、前判示のとおり、異議申立て等の期間制限の関係で、控訴人らにおいて、別途、本件各課税処分の取消請求訴訟を提起することは不可能であった。)、同訴訟において第一相研の社団性が否定されれば、被控訴人ら(西税務所長を除く)から、納付金の返還が得られると考えるのも無理からぬものということができる。そして、被控訴人らとしても、そのことを前提に、第一相研の社団性を主張して両訴訟に応訴したものと解されるのであって、さればこそ、訴え却下の法人税等訴訟の第一審判決に対しても控訴提起をしたものとみることもできる。
以上要するに、控訴人らとしても、過誤納金の還付請求権ないし不当利得返還請求権の行使につき、単に権利の上に眠る者に当たらないというにとどまらず、所得税訴訟と表裏一体の関係にある法人税等訴訟において、少なくともその取消請求に係る処分等(同処分を前提とする被控訴人県及び同市の各処分も含む。)に基づく納付金の返還については実質上その権利行使をしているものとみるのが相当であり、同訴訟係属中の時効中断の効力を認め、訴訟集結後六か月以内に新たに訴訟上の請求等をすれば、右中断の効力は維持されるものとするのが相当である。しかしながら、右法人税等訴訟において取消請求の対象とされていない処分に基づく納付金については、その返還請求権の行使をしているものとみることはできないところ、これを不当利得返還請求権の行使と仮定し、その消滅時効の期間を一〇年とみても、既にその期間が経過していることは前判示のとおりであるから、結局、昭和五一及び同五二事業年度の法人税(国税)に係る納付金合計七一億〇九六四万四四〇〇円の支払請求権については、本件訴訟提起前に時効消滅したものというべきである。
六 結論
以上の次第で、控訴人らの本件各請求のうち、本件各更正処分等の取消請求に係る訴えは不適法であるからこれを却下し、被控訴人国に対して一三億二四三三万一七〇〇円、同熊本県に対して四億七〇六七万〇三七〇円、同被控訴人熊本市に対して一億八六三二万七九二〇円及び同各金員に対する平成二年九月三〇日から支払済みまで年七・三パーセントの割合による各金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却すべきところ、これと一部結論を異にする原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法六七条二項、六七条、六五条、六四条、六一条、仮執行の宣言について行政事件訴訟法七条、民訴法二五九条の各規定を適用し、仮執行免脱宣言は不必要と認めてこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 山口忍 原啓一郎 西謙二)
別紙<略>